昔の都市伝説というか、実話らしいのですが、私の叔母から良く聞かされた話を紹介します。

大正時代の頃、村の外れの名前も無くただただ険しい山に、資源となる銅が大量に含有されていることが、学者の調査で判明しました。
そこで、村人が一丸となって、村興しの絶好の機会だと口を揃え、その険しい名無し山に、登山道を建設することが決まったのです。


やがて村に、町から多くの工夫達がやってくるようになり、山添にたいそう大きな小屋を建て、突貫工事が進められるようになりました。

昼夜交替で工事は着々と進みましたが、山はかなり険しく、工夫達を悩ませましたが、2年ほど経った頃には、銅採掘に適した場所にまで立派な道が延び、やがて銅の採掘が営まれるようになりました。
これが有名な○○○銅山なのですが、ここで不思議な現象が起きたのが、この話が伝説となった由来です。

あとは銅を採掘する為に巨大なトンネルを掘るだけです。
最初は人間がやっと通れるくらいの人道を造って行くのですが、その段階で落盤事故が絶えず、約150名ほどの犠牲者が出てしまったということです。
当時の工事関係者は焦りと恐れを抱く様になり、そこで、当時としては決して珍しくはなかった『人柱』を祭ることにしたそうです。
実はその『人柱』となったのが、私の祖母の母方の夫ということらしいのです。
夫の名前は伍朗介(仮名)といいます。
当時、人柱は身分の低い下請けの人夫が選ばれることが多く、人夫達を抱える頭領は、どうしても一人を選ばなければならなかったそうです。

前夜に、伍朗介の工夫仲間達が最期の別れを惜しむばかりに、彼に酒をたらふくと飲ませ、その夜は、酒好きの伍朗介にとって最高の気分にさせてあげた、とのことでした。
同僚達は涙を流しながら鬼となり、そのような行動に出たのですが、これにも深い理由があり、彼らも人柱になりたくはなかったからなのです。

明くる日の丑三つ時に、人道の側面に人の大きさの深い穴が掘られ、泥酔で気持良さそうな伍朗介に、柏の木で作られた杖を持たせ、そっと立たせた状態で、頭領や工夫達の手によって穴は埋め戻され、朝まで祭られました。
それ以降の工事は事故も無く着々と進められ、無事完成を迎えたとのことでした。

今では廃坑となってしまいましたが、有名な○○○銅山がその山です。
今では関係者以外は入れない場所に、小さな地蔵が祭られています。
それが伍朗介(仮名)地蔵と呼ばれるものです。
私がお盆休みの期間に訪れる場所でもあります。



【出典:死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?18



※うーん、なに銅山なのか不明です。
今では廃坑となってしまい、廃墟と化して心霊スポットになっているところは意外とあるのですが、「大正時代に開山」となると、とたんに該当する銅山がなくなってしまいます。

候補としてはこんなところでしょうか?
■地蔵鉱山(長野県小谷村):昭和6年採掘開始
■足尾銅山(栃木県日光市足尾地区):足尾公害事件や足尾暴動事件など様々な曰くつき。ただし、開山はかなり早く江戸時代には既に操業。

現在心霊スポットして有名なのは足尾銅山ですよね。